Every Day 〜日々雑感〜


 2004.12.1
 座頭市といえば・・・
(平成16年12月1日)

北野武扮する主人公の座頭市。いつの時代か定かではありませんが、ちょん髷の時代に金色の短髪というのは、いささか時代錯誤かと思わなくもなかったり。実は私的にあの頭から連想するのは吉川晃司でした。(^^ゞ

最近の動向は知らないのですが、ちょっと前にあんなヘアースタイルだったように記憶しています。今の若い人にその名を出して知ってるのかどうか不安なのですが、私の青春時代に彼のボーカルは最高の音楽でした。

一見巻き舌で、何を歌っているのか聞き取れない部分もあったりしましたが、当時、ボーカルも一つの楽器なんだと新しい感覚で思ったものです。

そんなデビュー間もない人気絶頂の頃の主演映画で、新神戸駅を降り立ち何者かの追っ手から神戸の町を逃げながらコンサート会場へ向かうシーンがありました。映画の中でも歌手だという設定でしたが、遥か震災前の町並みだったのは言うまでもありません。あれは、どこの会場だったのか?

そんなことを考えていると、若かりし頃にカセットテープに録音した彼の音楽が手元に残ってると思うのですが・・・意外や意外、カセットテープを再生できるステレオやラジカセって無かったりしません?( ̄□ ̄;)!!


 2004.12.2
 木曜練習での雑感
(平成16年12月2日)

次の日曜日に出演がありその練習に終始取り組んだ夜でした。当日は、地域行事に参加の為出演組みではない私ですが、練習では欠員の代役を務めさせていただきました。何やら突貫工事では不安な演奏もあるようです。

その演奏で締め太鼓に加わったのですが、これまでその曲では鳴り物しか経験が無かったので、締め太鼓のパートを正確には知りませんでした。そうは言っても、年に1、2回の機会でしか演奏しない曲でも何度も耳にしていた曲ですから、それなりに大雑把な流れは周知していたつもりです。

誰に教わった訳でもありませんが、篠笛によるメロディーが重なるその曲では、私的に締め太鼓を叩く奏者は、どこかお囃子スタイルに近い優しく丁寧なタッチで演奏すべきかとイメージしていました。つまりは、激しく軽快な曲調の締め太鼓とは明らかに奏法を差別化するのです。

曲の進行により、出過ぎない音から始まり終盤に掛けて盛り上がりを意識する指示が出ました。たまたま対になる奏者は振りに定評があるメンバーだったので、彼の中では終盤に向けての振り方を模索する様子でした。

一概に「振り」と言っても、必要最小限の動きもあれば意識したものもあります。各人の解釈も異なりますが、私としましてはあまり振りに固執せず、どこか上品でスマートな演奏が求められているような気がしました。

何れにせよ、今日のイメージを欠席していた本番のメンバーと上手く演奏してくれれば本望です。欠席の私が好きなこと言っといてね〜(;^_^A


 2004.12.3
 葛藤の末・・・
(平成16年12月3日)

この週末は、とある所でとある方の大太鼓WSが二日間に亘り企画されていました。日曜日は、地元太鼓団体の出演さえも地域行事のために欠席する身、何とか土曜日だけでも参加出来ないかと予定を調整していました。

しかし、主催者と詳細を詰める中で二日間通しのプログラムが組まれているとのことで、初日だけの参加というのは異例であると判断しました。

それならばと、天気予報と睨めっこしながら雨が降り出さない午前のうちに外仕事を片付けることにしました。どうやら来週は雨の日が多そうですし、冬型が次第に強くなるとのことでの決断でした。自営業ならでは?

これまでにもシーズンオフなどを利用しては、WSなるものに参加してる私ですが、これからも時々は活用しようかと思っています。最大の魅力として、日頃の仲間に囲まれていない状況で自分を見つめられるからです。

極たまに仲間から参加したWSの感想を聞かれたりするのですが、やっぱ個人個人目的や目標が違うでしょうから、参加しないことには実感できないでしょうね。だからと言って、推奨もしませんけどね〜私の場合。


 2004.12.4
 統制美の話
(平成16年12月4日)

和太鼓の演奏には、統制された動きを追求する流派と申しますか、考え方も根強いと思います。しかし、またこの統制され方の技術(?)的な基準というか、芸術(?)的な美というのは、関わる太鼓で様々なことでしょう。

私が日常的に楽しんでいる太鼓団体では、あまり神経質には扱っておりません。それでも、過去の演奏を観る中でもっと合わせた方が良いよな〜と感じることは度々あります。やはり、個人個人で曲調に応じた曲中の解釈が異なるので、どこかで指針が必要な演奏もあると感じているのです。

ずいぶん前のこと。ある曲で私がオーバーアクションであることに先輩から注意を受け、その意見に納得してスマートに改善したことがあったのですが、可笑しなことに別のメンバーが更にオーバーに解釈してたりして。

他には、ピタッと動きが止まりピアノで聞かせる雰囲気の中に、一人だけタラ〜ッと腕が動いていたりすると、観衆はその動きを自然に目で追ってしまいます。私的にはこれはかなりマイナスポイントに感じています。

時々この場にも書いていますが、ピンのポジションであるとか雰囲気を作る為の中心的なポジションというのは極一部です。それ以外は、大抵対になる相方が存在していますから、その相方の存在を無視するかのような極端に違う動きだけは最低限自粛すべきかと。私の勝手な意見ですがね。


 2004.12.5
 行き詰る曲作り
(平成16年12月5日)

チャッパを使った短い曲を作ろうと先輩の言葉に感化されたのですが、私なりのものがいきなり暗礁に乗り上げてしまいました。(´ヘ`;)

元々、桶胴座奏左右打ちのお遊びリズムを膨らませているのですが、出来損ないのフレーズが独立した曲としてどの程度の長さに仕上げるかイメージが纏まりません。また、舞台の転換に使えそうにとのイメージは先行しているのですが、その後に続く曲が限定されてしまうような雰囲気です。

単純に、チャッパ二重奏、三重奏を先輩はイメージしてるのかも知れないし、それに桶胴の音を重ねるとしても担ぎスタイルの方がお手軽かなとか思ったりしているのです。この担ぎ桶も世間の人気とは裏腹に、積極的に演奏には組み込まないというのが暗黙の了解と思わなくも無いしね〜。

まあ〜細かいことは今の段階では気にせず、プロトタイプの曲を提案してその先輩から意見を頂戴するというのが打倒なところでしょうか。


 2004.12.6
 同時進行も面白いかも
(平成16年12月6日)

例えば、ある楽曲に再びアレンジを加えるとして、Aさん主導で行くのかBさん主導で行くのかで曲のニュアンスは大きく変化すると思います。

勿論、他のメンバーも意見があれば自由にディスカッションされることでしょうが、音楽的なセンスに秀でたメンバーからは一目置いての意見交換にしかならないことでしょう。特に具体的な話を聞いている訳ではないのですが、恐らくこのオフシーズンには何曲か手を加えるのじゃないかと予想してる曲があります。私的には少なくても1曲、もしくは2曲かなと。

仮に、一つの曲で二つのパターンのアレンジ案が出たとして、すぐさま一つに絞るのではなく互いの変化で何度も演奏してみるのも面白いと思っています。場合によっては二つとも採用し使い分けるのもありでしょうし。

これまでにも、ポジションの増設や使う太鼓の変化でアレンジを微妙に変えてきた曲があるのですが、変えた時から以前の形が忘れ去られる傾向にあるのですが、場合によって(増設したパートを削減しなければいけない時など)は、前の形に戻した方がいいと思える時もしばしばあるしね。


 2004.12.7
 基本と応用の狭間で
(平成16年12月7日)

私が日常的に楽しむ太鼓音楽は、聴くものや自ら演奏するものを含めて応用の形だと思っています。それでは、基本の形というものが明確にはしづらいのですが、子供達に教える時や古くから伝わる我々の楽曲を演奏する時は、あくまで基本の形で臨むべきなのだろうと漠然と思っています。

例えば、子供達は左右の手順を決められたものと逆に動いてしまうことが頻繁にあるのですが、「この曲では前からこういう順序で決まってますからあなたは間違っています」と指導すべきなのでしょうが、そんな指導部メンバーも自分達の演奏の中で、特にお任せのソロパートなんかでは、そんなセオリーを感じさせない手順であることがほとんどです。

そんな演奏も時には目にする子供です。誰も言わないのでしょうが、「先生僕らに言ってる事と違うやんか」と心で考えていたりしないのかな?

「普通はこうです」「一般的にはこの手順です」という言葉が、あまり好きではないのに使わないと説明がつかないことも多く存在しています。

可笑しなもので、この基本だと思われてる部分をすんなり打ち破れる人ほど、個性的で多種多様なバリエーションの太鼓を奏でていると思います。


 2004.12.8
 基本と応用の狭間で2
(平成16年12月8日)

「基本」というものを考えた時、どこまでをどう分類し理解すれば良いのか正直解りません。ていうか、私的にはどうでも良いと思ってるのかも。

和太鼓がブームだと言われて久しい訳ですが、その渦中の太鼓団体で取り分け創作太鼓の分野では、もの凄くベーシックな基本の上に、さらに一段階上がったところで独自の基本形が構築されていると私は感じています。

ある程度は共通する部分も多くありますが、似てるような部分であっても様々な解釈から微妙な違いも生まれて当然だと思います。幸か不幸か、私達はある意味で自由に成長して来たのではと感じることがあります。極端に細かな部分には拘らず、先人達の創意工夫により今日の姿になったと。

その自由な精神は、大きな転換期を向かえるのではないかと一人勝手に身構えています。それは、やはりジュニアによる特編クラスの全国大会への挑戦です。私が思うに、そのような大会で上位を占めるのは、先に述べた独自の基本形が徹底して骨身に沁みて、さらに応用する術を身に付け自信を持って表現出来ているチームだと常々感じているからです。

実は、ジュニア(中高校生)に特別指導をしている今が、我々大人達も共通の意識を再確認する絶好のチャンスだと思っています。これまでの世代とこれからの世代が、大きく交わる出来事だと大袈裟に解釈している私ならではの、誠にもって勝手気ままな発想なのでした。(^凹^)ガハハ


 2004.12.9
 続・演奏に最適な人数は?
(平成16年12月9日)

来年早々には、再び大人クラスでの出演が予定されています。前回の反省や今後の展望を含めて、秋のお祭りでの演奏映像を眺めていた私です。

何気に人数を数えてビックリ!ある演目を22人で演奏していたのです。

正直なところ、団体で所有する太鼓のキャパシティを遥かに越えていたのです。お祭りでは外部からお借りした太鼓がありましたので、ブラウン管に映し出される演奏が可能だったのでしょう。さらに、お祭りということもあり日頃休みがちなメンバーさんも参加しての大所帯だったのです。

あ、あの先輩(クラス担当者)うちら名簿上は全部で何人いますかね?

今度の演奏っていうか、今後のことも含めて考えなければいけないでしょうが、仮に全員が出演OKって時にはどうするのでしょうかね〜?6(-_・;)

いよいよ選抜が始まりますかね?まあ〜2曲以上演奏する持ち時間があるなら、曲ごとに2班体制が妥当なところでしょうが、自己発表会的な催しならまだしも、外部からの出演依頼に応じるには人数が多過ぎるかもね。

結局のところは、過去の実績からも出欠確認をすれば、不思議なものでメンバーの自己都合などから手頃な人数で落ち着くとは思うのですがね。


 2004.12.10
 明日の為の・・・その1?
(平成16年12月10日)

私が前から試したいと思っている練習体系があります。「護送船団方式」何て言葉が一頃聞かれたと思うのですが、現状では人数が多かれ少なかれクラス単位での指導・出演が定着しています。これとは逆の発想です。

どうしても人数が多い子供クラスについては当てはまらないのですが、外部からの出演依頼に応じる機会が増えてきた大人クラスに、精神的な成長を促す意味で少数単位の班分けスタイルで、曲練習をさせてみるのです。

勿論、固定した班分けを考えていませんから常に人員はシャッフルした方が良いでしょうし、出来れば5、6人の最小単位を望みますかね。この体系での練習の狙いとしては、太鼓に入った練習組みで無い人達は、人の振り観て我が振りを考えてもらえると思うのと、太鼓を使った練習に着いた人は、大勢の中で何となく自信の無いところを誤魔化すのでは無く、責任をもってそのパートを懸命にこなさなければいけないところです。

2、3日前から話題にも取り上げたように、もう一歩踏み込んだ精神的スキルアップが必要な時期になって来てるのだと感じずにはいられません。

何て上からものを言ってるような私ですが、私自身も決して誉められたものでは無く、課題はあれこれ山積みなんですけどね〜ヽ(´o`;)ノ


 2004.12.11
 自分の為の・・・その2?
(平成16年12月11日)

私は遊びの天才なんて思うつもりは無いのですが、好奇心が旺盛な人間であることは自覚しています。これは太鼓に関しても例外ではありません。

団体の外の話は別にして、取り分けグループ内においても全く役に立つのか立たないのか解らないようなお遊び練習をするのが得意なのです。時には与えられたスキルをほったらかしにしてることもありますが。(;^_^A

近頃、また一つ面白そうな遊びを実践してみようかと考えています。しかし、練習時間内に取り組むには細心の注意が必要でしょうし、休憩時間などを利用するしかないとは思っていますがね。MY太鼓セットでも揃っていれば、音楽スタジオを借りて練習しなくもないのでしょうが、いくら防音のスタジオとはいえ、太鼓の使用には一目置かれちゃうのは必至です。

以前、シーズンオフの自由練習の時だったと記憶しているのですが、誰もあれしなさいこれしなさいと言ってもらえない状況では、意外と練習メニューには困ってしまうものなんですよね〜。

与えてもらえない状態で、何を考えどう行動するかが本当は大切かもね。


 2004.12.12
 楽譜ね〜
(平成16年12月12日)

前にも話題にしたと思いますが、私自身が楽譜ありきの曲の練習が得意ではありません。太鼓を始めた頃に比べると幾分読み書きは出来る様にはなったつもりですが、音楽経験者のような能力には程遠いでしょう・・・

他のメンバーの中にも苦手な方は何人かいるようですが、そんな人は耳や動体視力や感覚的な部分を研ぎ澄ませて練習に臨んでいるのでしょう。

楽譜を目で追うよりも先にリズムの特徴を何とか覚えようと身体が自然に反応しているのです。この能力の差も新しい曲の練習なんかでは先輩方に迷惑を掛けてしまう部分なのですが、極力短時間で追い付けるようこれまでにも頑張って来たと自負しております。(抜けるのも早かったりして)

しかし、そんな私だからこそ、音楽経験に乏しい人がある程度年齢を重ねてから曲を覚えることの大変さはそれなりには解りますから、メンバー内や外部の方でもその様な人には温かく接することが出来るのかもね。

最近俄に、「こんな曲作ったけど聞いてくれる?」とか、「ちょっとこんなん考えたけど演ってみよか」とか、練習中の雰囲気が良さげで新鮮な空気です。音楽的なことを牽引する先輩がいた頃もそんな空気だったなあ。


 2004.12.13
 値段交渉は平行線かな?
(平成16年12月13日)

いろいろとバチの製作をお願いしていた木工職人さんでしたが、間に入っていただいてたメンバーさんによれば、値上がりしてしまったとのこと。

元々が少数単位で、注文される個人でまちまちな寸法であったので、採算ベースに乗らなくなってきたようです。急激に依頼する人間が増え、いつかこんな日が来るとは思っていましたが、突然の出来事に参っています。

数ヶ月前に新しいスペックの締めバチの構想が決定していたのですが、実現させること無く封印してしまいそうです。大太鼓のバチもくたびれ始め骨折予備軍も目立つようになって来ました。これからどうしようかな?

勿論、今後もその職人さんにお願いすることにはなるでしょうが、現在は値段交渉の途中だと聞いておりますからその動向を静観してる次第です。

さて、そんな中自宅のバチ倉庫を見回せば、少し手を加えれば何とか使えそうなバチがゴロゴロしていました。完璧にイメージ通りの形に仕上げることは不可能でしょうが、多少見てくれが悪かろうが自分であれこれ作って見たくなりました。眠っていたバチに第二の息吹を与える絶好の機会。


 2004.12.14
 オーバーテイク週間?
(平成16年12月14日)

かれこれ一週間くらい前からずっとトップ頁の日付が先行してたりするのですが、細かいことには目を瞑っていただきたいと思います。我ながら書き出すと話題が溢れ出て来るようで、なかなか歯止めが効かないのかも。

以前は、趣味の話から日常の話題まで広くネタにしてたのですが、ある時太鼓関係者から太鼓中心の話題の方が読んでて面白いとの要望から毎日ダラダラ続けております。気がつけば、一つの分野でも語る語る。(^^ゞ

ちなみに、これは12日の夕方に書いていたりします。(^凹^)ガハハ

今日は練習の日曜日。中高生クラスの休憩時間を利用して、前から試してみたかったことを初めてみました。それは、独奏の多面打ちで何か演奏出来ないかと、持ち曲の中から手頃なものをベースに遊んだのです。今回のテーマとしては、積極的に音程の違いを使い分けてみようとしています。

その点に拘れば、トリッキーなフレーズや印象に残るリズムの組み立てというよりは、音符に書けばせいぜい8分音符の羅列になりそうなのです。

そんな条件の中で、如何に聞かせられる太鼓音楽にして行くのか。私の技量では、ちょっとやそっとでは太刀打ち出来ないテーマに手を出してしまったと思っています。頭の中のイメージでは、最低でも締め太鼓2基に長胴、もしくは桶胴太鼓が3基の計5基を使って表現したいのですが・・・

先ずは、休憩時間に使用出来る太鼓に気を配りながら、長胴は諦め締め太鼓4基を並べて、オープニングの部分の音作り(この場合叩く順序)に挑戦したのです。やはり、実際に叩き比べると次々にアイデアは出て来るのですが、それでいて納得の行く音使いを固定するのに時間が掛かります。

せっかくですから、ドタバタでも凸凹でも良いので、なるべく早い段階で一つのプロトタイプを完成させたいです。私なりの練習曲ということで。


 2004.12.15
 ビバ!おばちゃんお姉さん太鼓
(平成16年12月15日)

過日の練習でのこと。来年早々の演奏依頼に7人ほどの出欠確認が取れました。私を含め基本的には大人クラスでの出演ですが、予てから個人的な理想とする少数体系で落ち着きそうで、ちょっとワクワクしています。

日常的には最前列のポジションを仰せつかることがほとんどでしたが、その時の練習では後ろ向きに太鼓を叩き、後列の様子をまじまじと眺めさせていただきました。すると、比較的粒の揃った女性陣のホットラインともいうべき中太鼓群が目を引くのです。素直にカッコイイと思いました。

私達の持ち味は激しくカッコイイ系だと仮定すると、クラスを仕切る先輩の理想としては、もっと身体の使い方やバチの動きに細かな注文を付けたいそうです。しかし、何の何の今の状態にまで仕上げた彼の手腕にも脱帽するばかりで、さらに上の表現を目指してもう一頑張りって感じでした。

指導する側に立つとそれを主導する先輩の考え方や教え方から学ぶことは多いです。そんな時でも自分なりに感じたことは、私の言葉で助言はいたしますが、口に出し身振り手振りで教えていることは、実は私達指導部のメンバーにも共通して言える欠点や改善箇所だったりするのですよね〜。

言ってる自分が一番上手く出来ていなかったりすることも往々にしてありますから、運営指導に携わる我々もうかうかしていられないのでした。


 2004.12.16
 俄然、作調モード!?
(平成16年12月16日)

先日話題にした個人的な取り組みですが、ちょっと五線譜を引っ張り出しては頭を悩ませています。勿論、ベースになる曲はあるので、あくまで独奏に拘った音使いを模索しているのです。ところが、そのベースの部分も耳で覚えた曲なので再現に戸惑い、記憶の曖昧さに嫌気が差しています。

白紙の五線譜には、上段附近に締め太鼓の音を中段から下段に中太鼓の音をと書き始めたのですが、正確に纏めるには実際に太鼓を叩きながらでないと決められないと思いました。絶えず変更箇所が溢れ出てくるしね。

それに、どうせなら今まで作った出来損ないのフレーズを組み込めないかと思い付いたり、ソロフレーズ的に低音だけを使った部分や高音だけを使った部分など、聞かせどころが作れないかとアイデアも尽きないのです。

そうそう、何かこんな話題をトップ頁にダラダラ書き綴っちゃうと、凄いことに取り組んでると誤解されそうですが、文字で読む印象より全く大した取り組みではありませんので。変に期待しないで下さいね〜(;^_^A


 2004.12.17
 伝統と創作の融合に想いを馳せる
(平成16年12月17日)

“伝統”て言葉を履き違えると話が進まないでしょうが、やはり昨今の太鼓ブームは“創作”の部分で差別化された太鼓が主流だと感じています。

少なくとも私なんて、日本古来の文化や芸能とは無縁の人間でして、頭でっかちで杓子定規に叩く意味など考えたことも無く、ただ単に太鼓を奏でることで派生する音楽的な魅力に取り付かれていると言えます。

正直なところ、太鼓を叩くようになってから太鼓に纏わる見聞を自然に広めるようになり、その多くが知識として残ったと自己分析しています。とかく、地域の太鼓団体においては、我々の伝統とされるスタイルを維持しながらも創作系の取り組みが、一番自分の得意分野だと思っています。

他所の地域の伝統太鼓をアレンジして叩くことに意味を持つところも少なくないでしょうが、それは私の想う伝統と創作の融合とは違います。我々の伝統とされるスタイルは、あくまで我々の大先輩が確立し今日まで伝承してきたものであって、似て非なるものとご理解いただければ幸いです。

私の好きな創作系の取り組みとは、まさに新しい自分達の音の構築や音楽的なアップローチの変化や挑戦と言ったところでしょうか。当然、既存のものを変化させることに異論を唱える意見も極一部で聞こえて来たりもします。また、新しいことへの練習には足並みが揃い難いという現実です。

突っ走りたいと思う先輩もいたり、それに喰らい付きたい私に少し遠慮がちなメンバーもいたり、そこに仲間と歩み高め合う醍醐味があるのです。


 2004.12.18
 バチの話
(平成16年12月18日)

最近、隅に追い遣られて陽の目を見ていなかった一線から退いたバチを復活させています。「貧乏臭い!」と非難しないでおくれやす〜それに手を加えるあまり、以前よりも長さが短くなっています。ところが、元々長いものを好んでいた私としては、短いものを見直す切欠になっています。

私が今の団体にお世話になった当初、皆の使うバチの長さにカルチャーショックを受けたものです。程なくして、私も諸先輩に見習って同じ様なバチを手に入れ、好みが変化していったのは言うまでもありませんが・・・

経験から思うのですが、打ち方がそれなりに完成されていない段階で、無闇に長さを求めない方が賢明だとの結論に達しております。ある程度のバチでもってみっちり基礎的な感覚を身に付けた上で、必要なら長さに拘るべきかと。短かろうが長かろうが今の私にはさほど問題では無いのです。

ただ、子供達を見ていて、やたら長いかもと思うようなバチで一丁締めを叩くので、皮の痛みが早くなったような気もしています。つまり、三丁を叩くようなバチで一丁を叩くのは避けたいと個人的には思います。それでも、ある程度のコツを身に付けたなら一丁を叩くようなバチで三丁を叩いてもそれなりに良い音を鳴らせられると思うのですがね〜。

市販のバチを目にしても、おおよそ一般化されたサイズでラインナップされてることが多いですよね。なぜにそのサイズで落ち着いているのかを理解しようとすれば、おのずと答えは見えてくるのかも知れません。


 2004.12.19
 プロ的?な感覚、いや意識かな?の話
(平成16年12月19日)

プロの演奏家のイメージですが、セッションの数日前であったり、あるいは数時間前に初めてスコアーを渡されて、それでも本番はビシッと決めるなんてことが、日常茶飯事に行われているのだと思っています。

私が個人的に参加する桶胴ユニットは、大袈裟に言えばこの感覚に近いと気づきました。練習量に比例しない本番のパフォーマンスは、技術的にはある程度のものをクリアーしてれば、残りは気持ちでカバーするのです。

日常的に関わる太鼓とは、表現方法に根本的な違いがありますから一概には比較は出来ない二つの事例であることは、言うまでもありませんが。

つい一週間ほど前のこと。一人の先輩が短い曲の譜面を取り出し、お遊びがてら練習することになりました。その中の数人の先輩は、ものの数回の繰り返しでほとんどマスターしてしまったのです。これは凄い能力です。

ちなみに私は、少なく見ても50回くらい繰り返せど全然マスター出来ませんでした。ところが、私の場合楽譜を見ながらは叩けないのですが、家に帰ってからどんな流れであったかを思い出しそれなりに書き留めることが出来ました。別の日に先輩の譜面と多少の答え合わせは必要でしたが。

これは、その場に居合わせたメンバーだけが経験した非公式な練習だったと思いますが、作調した先輩曰く、将来的には演目に発展させたい気持ちは充分にあるとのことでした。実は、こういった新鮮な感覚の練習からは久しく遠ざかっていたのではないかと感慨深げに過ごしていました。

ならば、数回でマスターしたレベルに追い付くには、私を含め後のメンバーにはどれくらいの時間的猶予が与えられるのでしょうか?少々厳しめの私の感覚なのですが、「もう一回!」「次の練習の機会には!」ってところで、贔屓目に見ても三度目の正直としたいところです。ヽ(´o`;)ノ


 2004.12.20
 ジュニアの特編クラス
(平成16年12月20日)

いわゆる、成人した我々指導メンバーによる特編クラスとは違い、来るべき大きな目標に向けて特別編成された子供達です。次世代を担わせるに値するダイヤの原石達だと、少々大袈裟ではありますが実感しております。

正直なところコンクールに挑戦という途轍もない目標を掲げ、急遽団体の活動理念を方向転換した感(個人的に)があるように思うのですが、それに向けて大人も子供も一丸となってる過程は貴重な時間に思えています。

いささか私など力不足ではありますが、出来る限りのことは精一杯伝えようとしています。言葉の足りないところは他の先輩にフォローしてもらうとして、恥ずかしくて問題点を聞けない子供にはその子の気持ちになりながら言葉を発し、また飲み込みの早い子には早い子なりに、それぞれに適したより良いアドバイスを心掛けています。

以前から気になる点でしたが、これまでの私達そのものにカチッとした共通の指導スタイルが確立されていない気もしますから、指導メンバーが変われば言葉も変わってしまい子供達も思考回路がパンク寸前になるかも知れません。しかし、今は情報を詰め込めるだけ詰め込み、近い将来上手く消化しては実践してくれると信じていますし、そのように追い込みます。

この雰囲気であれば、早くて一年ないし二、三年の間には、我々の今までの全てと言っていい程のものを伝えることが出来るように思っています。

当然、既存のものを伝える以上に我々にも進化が問われているでしょう。


 2004.12.21
 昔を懐かしむ〜雑感閉鎖への序章?〜
(平成16年12月21日)

私が今の団体に入って間もない頃の昔を振り返ってみたいと思います。

当時は、新人の私に何か手取り足取り教えてもらえる雰囲気は無かったと思います。つまり、どこの馬の骨とも解らん人間に、特編クラスの練習時間は、技術は目で盗めと言わんばかりの空気がただ流れていたのです。

私にしてみれば、何も特別なことでは無く当たり前の光景でした。さらには、これからこの中で鎬を削る訳ですから、相当なプレッシャーがあったのは言うまでもありません。何をどう克服していったのでしょうか?

当たり前の話にお付き合いいただくでしょうが、先ずは明確な目標設定でしょうか。その頃、いわゆる一般の大人クラスでのデビューも果たしていない馬の骨(私)は、入会して直ぐに特編クラスの練習に誘われたのはいいが、これまで身に付けた技術の低さを思い知らされていたのでした。

その年のお祭りで、黒い長袖法被によるデビュー演奏が終わりました。それを契機に私の中であるスイッチが入りました。それからは、同期のメンバーと共にお互いを意識しながら特編クラスの練習にも邁進したのです。

その頃、私の思い過ごしかも解りませんが、大人クラスと特編クラスの間には明確な垣根が存在していたように思います。しかし、現在の練習スタイルは当時に比べると新しいメンバーの受け入れ態勢は穏和なものです。

そこで見失ってはいけないと思うのですが、練習が厳しかろうが優しかろうが、個人個人で目標を定めて一つずつクリアーしなければ、今より高い位置には上れ無いのです。それは、今も昔も何ら変わっていないのです。


 2004.12.22
 多面打ちの必要性は?
(平成16年12月22日)

私達が、伝統と思われる部分だけの太鼓を大切に守り伝えるなら、昨今創作表現の中で主流とも言える多面打ちは必要ないのかも知れません。

しかし、伝統と創作を融合する過程で、新しい表現スタイルを採用しそれがスタンダードになるのであれば、全てをひっくるめて後世には残すべきかとも考えたりします。それでは、今この多面打ちパートの存在する我々の楽曲はと振り返れば、残念ながらまだまだ極僅かしかありません。

元来私達の太鼓は、大勢の演奏者が複数のパートに分かれるスタイルで定着しています。意外とこの形に固執することが、新しいスタイルをメンバー内に浸透させる速度を緩めていやしないのかと考えたりもしています。

私自身この多面打ちのセンスは皆無ですし、メンバー内で様になって打ててるのは、私が見る限り半数にも満たないかもね。それでは、センスのある一部の先輩以外の私を含むメンバーはどうしたら良いのでしょうかね。

恐らく、先輩は言うでしょう「練習するだけ」と。ごもっともで(;^_^A

新しいスタイルであるほど、なかなかどう練習に取り組むべきなのか、実のところ皆悩んでいるようにも思います。遊び心旺盛な私は最近、キチッとした練習をしない時間帯は出来る限り3基以上の太鼓に触るようにしています。使用可能な太鼓が余っている限りは続けようと思っています。

人それぞれに苦手意識を払拭する手段は違うでしょう。ご参考までに。


 2004.12.23
 昔を懐かしむ〜その2〜
(平成16年12月23日)

ある特編練習日のこと。「○○さんはいつになったら覚えてくるの?」当時特編クラスの練習を指揮していた先輩から冷ややかに檄が飛びました。

先輩方の練習する姿とその時の演奏でもって曲を覚えろというのも限界がある訳で、なかなか積極的に関われない私の姿が腹立たしかったのか。

ほどなくして、別の先輩を捉まえてベースとなる楽譜をコピーさせてもらい、現在の演奏に合わせて修正箇所をどんどん書き込んでいきました。気軽に話しかけれる先輩を見つけることも重要でしょうし、自分の存在を皆に認めてもらわないと、集団の中であろうと孤立の危機は必ずあります。

今から思えば、ひょっとして太鼓教室的な感覚なら「ハイ、これが私達の持ち曲の楽譜集です。次に練習するのはこの曲ですから必要なところに目を通しておいて下さい。」というような対応を期待するのかも知れないですね。正に、当時の私はそれに近いような受身の姿勢だったのかもと振り返ります。そんな私の甘さをその先輩は見抜いていたのでしょうね。

ある時、新しい曲を作り上げる作業が始まりました。これには、自然に胸躍る想いで取り組めました。それは、スタートラインが並み居る先輩方と同じなら自分の存在をアピールする絶好のチャンスに思えたからです。

この曲でのデビューが、私の中では二度目のデビューでした。特編クラスの諸先輩に混じり演奏させてもらえたことで、仲間として認めてもらえた気持ちになれたからです。それからも事あるごとに檄は飛びましたけど。

その、こんちくしょうと思えた先輩の厳しさが好きでしたし、絶対的な技術力も認めていましたから、その後の私の躍進の原動力になったのです。


 2004.12.24
 クリスマス・プレゼント?
(平成16年12月24日)

思いの外、早くに送られてきたので迅速な対応に感謝、感謝!m(_ _)m

さて、話は全く関係の無い方向へ・・・私が日頃から関わる太鼓の世界でありますが、太鼓音楽という意識が高まっているのを実感しました。以前は、今以上に軽はずみにその言葉を発していたように思うのですが、前よりは少しだけ自分の中での太鼓表現の枠組みが確立されつつあるような。

太鼓の持つ可能性というのはまだまだ計り知れないでしょう。これまでにも先人達により幾多の表現が実践され認知され、人々に感動を与え続けているのは周知のこと。その過程でおおむね幾種類かの太鼓表現の道筋は現れてきたのではないでしょうか。少なくとも私はそう感じています。

かなり昔のこと。太鼓のサイトを通じて遣り取りされる言葉の中に、ただ「太鼓」というだけで、共通の意識を固定するかのようなディスカッションが広く行われていたように思いました。でも、やはり十人十色です。

身近な環境や、関わる太鼓、得られる情報に、感性、個人の好みで大きく異なってくることでしょう。たまたま四年前からでしたね、個人的な視点で日々の活動や胸の内を書き綴ったら面白いかもと始めた「日々雑感」。

恐らく、共感していただき明日を楽しみに訪問される方が多い中、極一部ではございますが非難の言葉も噛み締めていました。しかし、そんなことは気にも留めずに、自分が信じて目指す太鼓を実践し紹介して来ました。

下らない事でも面白可笑しく書くのがある意味趣味とも言える私です。言葉だけでなく、いや言葉に出すからにはたとえアマチュアの太鼓であろうと、趣味だからと中途半端には向き合うつもりは一切ありませんでした。

今後も変わらぬスタイルで太鼓は打ち続けるでしょうが・・・

丁度、イブに間に合うように送られてきたDVD・・・

私から私への贈り物。(^^ゞ

 2004.12.25
 私の思う太鼓のうんちく話
(平成16年12月25日)

これまで人に教わったり、自ら経験し考えたりする中で導いた事柄です。あくまで私なりの発言ですので、同調を求めるものではありません。

一回目は“バチ先まで神経が通っているつもりで意識することの大切さ”
(おいおい「一回目」って、シリーズ化するつもりじゃないよな〜俺?)

バチは腕の延長であるとする考え方でもありますが、時々振りを大きく見せたいあまりに、バチ先までの空間が無責任に思える方が居たりします。

語弊があるといけませんが、グループ表現として意識し統制された振りなら理解は出来ます。しかし、明らかに一人だけが極端に動きが大袈裟であるとか、周りとは違い過ぎるよな〜と思える場合のそんな次元の話です。

端的に申し上げるなら、打ち込んだ直後の打面附近での変なブレ、止まる時は止まる静と動の切り替えの曖昧な動き、振りの軌道の無秩序なブレ。

私が思うに、応用のある動きを模索するのはいいが、動きに責任はあるべきかなと。つまり、集団の中でなぜにそう動くことを選択したのかを消化し切れていることですね。そうでないと、ただ闇雲に腕を振り回しその先でバチが泳いでいたりすると、演奏に締りが無くなってしまいますから。

何てことを偉そうに口に出す私も、日頃親しむのはそのグループ表現ですから変な癖が出てはしないかと、かなりドキドキものですがね〜(;^_^A

勿論、意識していないのにそうなってしまう動きもありますから一概には言えませんが、あくまで意識的に作り出しているであろう動きを、時には冷静な判断で客観的に反省することも必要ではないかという話です。

腕の話以外では、私自身改善したい癖の一つに“首振り現象”がありますね。また、その話は次回の研究テーマに残しておくとしますか〜!?


 2004.12.26
 改良し完成させたバチなのに!?
(平成16年12月26日)

私には、これまでの経験と今年一年の試行錯誤で完成させていたバチがありました。重さや強度にも拘り、どこかで「折れないバチ」とタカを括っていました。ところが、先日あっさりとそのお気に入りを二本も折っちゃったのです。手持ちのストックは残っていません。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

また、年明け早々から別のアプローチをする予定でいますがね。(^^ゞ

あるプロ奏者の方と笑いながら話をしたのですが、関西のある流れでは誰もが通るという訳でも無いのでしょうが、風邪を引く様な感覚でもって一時期は「それ長くない?」というバチを好んで使う経験者が多いのです。

何を隠そう私もその中の一人だったと自覚しています。彼曰く長いバチをコントロール出来ることが上手い事と自負する傾向が強かったそうです。

ほどなくして、誰しも好みが徐々に落ち着いて行くそうですが、私も全くその流れに乗っていた当事者ですから、笑うしか無かったのでした。

そうは申しましても、今後も強烈なアタックを要する曲調の演奏では、これまでのスペックと同じバチを好んで使い続けるでしょうがね。

余談ですが、年齢的なものなのかその強烈なアタックを要するとされる曲調自体少々耳障りに感じているのも事実です。何でもかんでもガンガンに打ち鳴らせば良い音に聞こえるとは思いませんから・・・


 2004.12.27
 一年間の活動実績に胡坐をかかない
(平成16年12月27日)

今年の3月頃のこと。坂東玉三郎氏が日本を代表する太鼓集団「鼓童」を指導した番組が放送されたのは記憶に新しいことでしょう。実は、あの番組を何度も観ながら私は、地元団体の活動を重ね合わせていたのです。

メンバーの個性が自然に集約されて出来上がった表現が私達の持ち味であり、その表現や技術の習得は大筋では個人個人の必要性と自主性に委ねられています。必要最小限の指針はあれども詳細まで定義されていないが為に、表現の微妙なバラつきは許容範囲の愛嬌と映るかも知れません。

しかし、観る人が観れば表現の精度を上げられるに越したことは無いと思うことでしょう。それには、時に個人の個性を否定しなければならなくなり、ある意味痛みを伴う改革に着手することになりはしないかと・・・

まあ〜私自身、先輩方から指摘を受けるのは大歓迎な性格ですから、私に関することは遠慮なく注意してもらいたいですね。ただ、中にはそうでないメンバーもいるでしょうから、お互いの気配りは大切ですよね〜。

これは、私達には番組内の玉三郎氏のような指導者が不在であるが為に、メンバー内の温度差がもろに改革までの進捗率に影響してしまいます。

いろんなことを含めて、リーダーあたりは百も承知なのでしょう・・・


 2004.12.28
 意外にも・・・
(平成16年12月28日)

あくまで創作太鼓の分野の話です。自分が身に付けたものを消化しよくよく考えては、後輩に伝えようとした時、人が自分とは違った表現でそれを伝えようとする場面に出くわします。実は、違う言葉や表現でも突き詰めた先には、有効かつ合理的な技術的指針は一つではないかと思うのです。

「それが基本というものだ」と言われればそれまでなのですが、伝える過程と言葉の違いが大き過ぎるのです。基本の何たるかが充分理解出来てそこに到達させる言葉を知る人間と、そうでなくても経験的に身に付けたものが豊富で、実のとこ基本が何なのか漠然としている私の様な人間です。

私は、試行錯誤しながら悩んだ経験が多いだけに、同じ効果を出す為にもいろんな言葉と伝える手段を考えます。しかし、万人向けでは無いとも自覚しています。クラスを担当し全員に汲まなく教える言葉が仮に広く浅く方式だとすると、悩める個人に向け狭く深く助言するのが私らしさかも。

そんなことを毎週のようにジュニアの練習時間に思うのでした。今雰囲気の良さは最高潮に達してます。時間の許す限り指導部の大人達が寄って集ってレクチャーする訳ですから、今伸びないでいつ伸びるって感じです。

ただし、全国レベルで批評される場に出すには全然ダメな現状も大人達は気づいています。もっともっと、子供達が出来ないことを悔しがり、自然に涙することが必要な段階に差し掛かろうとしています。いよいよ・・・

その引き金となる指導は、私のキャラでは無いので先輩に譲りますわ〜!


 2004.12.29
 続・基本と応用の狭間で・・・
(平成16年12月29日)

これは、誠に持って勝手な感覚なのですが、創作太鼓の基本らしきベーシックなものはおぼろげながらに私も感じています。それが、身に付いて実践出来ているかどうかは別の話ですが、その無駄の無い有効な動きの中で私自身は、それほど余計なことをする余裕は無いと思っています。

余計なことかどうかというのも、人それぞれの感覚ですから具体的にどうこう書き綴れませんが、自分の思う曲のイメージに合わせた意味ある動きと、個性を出そうと意識し過ぎる動きにはギャップがあると思います。

つまり、もの凄くベーシックで有効な身体の使い方が身に付いた上で、尚且つ個性を追求しようとする行為と、個性を出そうとする余りベーシックなものがぐちゃぐちゃになる場合とは似てる様でも全く違うのです。

メンバー内や他団体の奏者でもいろんなスパイスの効いた動きを導入しています。全く何も奇抜な動きはするなとは申しませんが、いろいろ遣り過ぎてる現状がカッコ良さもスパイス感も台無しにしてると思えてならないのです。こんなのを書くとお前は何様のつもりやとお叱りを受けるかな?

先ずは、音ありきかな〜曲の音使いに注意すると、その為に有効な意味ある動きも自然に身に付くだろうし、それをベースに応用ある動きを付け足しても音使いが乱れなければ、まずまずの合格ラインでしょうかね〜。

兎角、私達に焦点を合わすとカッコよく動けてるから良しとする傾向ですが、少数で演奏させた時に必ずボロが出ます。集団の中では上手く誤魔化せているのだと気づかないと、いつまでも音楽的な成長は望めないです。

そんな自論を持ちながらも私自身誉められたものでもないのは百も承知。




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